佐賀県武雄市にあるあかりセラピー館
学生生活の一大イベントである修学旅行では、素敵な思い出を作りたいという人も多いでしょう。修学旅行は、学習教育の一環であり、楽しむだけの旅行とはとらえ方が異なります。しかし、旅行には変わりなく、せっかくなら魅力あふれる観光地を巡りたいものです。
本記事では、西九州エリアに絞って、修学旅行に最適な長崎県と佐賀県のおすすめスポットをご紹介します。学習することはもちろん、見ても触れても楽しめる名所を厳選しました。
修学旅行で行きたい西九州のおすすめスポット【長崎編】
長崎県は、国際貿易が盛んな異国情緒あふれる街であるとともに、原爆投下による被爆地でもあります。世界遺産になっている施設も数多くある長崎は、修学旅行でも人気が高く、平和学習や長崎ならではの歴史・文化を学べる魅力的な観光地です。
長崎平和公園
長崎平和公園は、原爆の悲惨さを訴え、世界平和を願うために作られました。毎年8月9日は、原爆の日として、長崎ではこの平和公園で平和記念式典が行われます。
有名な祈念像は、原爆の脅威・平和・犠牲者の冥福を祈るという思いが込められています。世界平和は、永遠のテーマともいえるもので、被爆地だからこその平和学習は非常に価値のあるものでしょう。
長崎歴史文化博物館
「海外交流史」がテーマとなっている長崎歴史文化博物館は、江戸時代に置かれていた長崎奉行所立山役所の跡地に建物を復元しました。当時の歴史文化を知ることが可能な古文書や、美術工芸品などの貴重な資料が多数展示されています。
重要文化財の踏み絵などを含む、貴重な資料をもとに、長崎ならではの歴史と文化を学べます。長崎の歴史を大型スクリーンで視聴できるドラマや、伝統工芸を体験できる工房もあり、訪れる人を飽きさせません。
大浦天主堂
大浦天主堂は国宝であり、世界遺産に登録された構成資産のひとつでもある貴重な歴史的建造物です。日本最古の教会としても有名なこの建物は、幕末時代の在留外国人のために作られました。豊臣秀吉によって処刑された日本二十六聖人にささげられた教会でもあり、信徒発見の場でもある大浦天主堂は、日本のキリスト教の歴史にとても深いかかわりがあります。
グラバー園
1571年に長崎が開港したことにより、多くの外国人が長崎を訪れ国際貿易港として発展しました。
グラバー園には貿易商人であったスコットランド人、グラバーの住宅を含む9棟の貴重な洋風建築が建てられています。当時の貿易商人たちがどんな生活をしていたのかを垣間見ることが可能でしょう。グラバー園から見える長崎港の美しい風景や、園内に咲き誇る四季折々の花など、目で見て楽しい観光スポットです。
修学旅行で行きたい西九州のおすすめスポット【佐賀編】
佐賀県は、有田焼が有名なほか、幕末時代にいち早く日本を近代化へと導いた、佐賀藩の活躍も知られています。豊かな歴史と文化に触れることが可能で、修学旅行にも適しています。また、自然に囲まれ、のんびりとした時間が流れる佐賀県は、温泉も豊富で訪れた人を癒してくれるでしょう。
有田ポーセリンパーク
有田ポーセリンパークは、バロック式建造物であるツヴィンガー宮殿がシンボルとなっています。有田焼の展示館、登り窯の見学や有田焼の体験工房などがあるテーマパークです。
簡単な絵付けだけでなく、粘土で自由に作れる手びねりや、本格的なろくろによる陶芸を体験できます。自分だけのオリジナルの有田焼が作れるとあって、人気のある施設です。また、手ごろな値段で購入できる有田焼のアウトレット商品もあり、お土産として販売しています。
吉野ケ里歴史公園
吉野ケ里歴史公園にある吉野ケ里遺跡は、日本最大級の弥生時代の環濠集落跡です。国の特別史跡に指定されており、弥生時代の住居跡や王の墓とされるものなどが発掘されています。また、土器や石器、勾玉や管玉など、当時の人々の生活を知ることが可能な貴重な品々を多数出土しています。まるで弥生時代にいるかのような、当時の生活や文化の体験が人気です。
佐賀城本丸歴史館
かつて佐賀城が建てられていた跡地に、城の一部を忠実に復元した佐賀城本丸歴史館があります。日本最大の木造復元建物として有名です。
ここは、幕末維新期の佐賀藩の活動を伝える歴史博物館です。多くの展示物から、本丸御殿の復元過程や佐賀藩が活躍した時代の検証などを紹介しています。実物やレプリカの展示、映像による解説だけでなく、実際に触れて感じられるものもあり、幕末維新を存分に楽しめる博物館です。
修学旅行で買いたい西九州おすすめのお土産
修学旅行の楽しみは、非日常を体験することでもありますが、その土地の名産品を手に入れることも楽しみの一つではないでしょうか。ここでは、長崎と佐賀のおすすめのお土産をご紹介します。
長崎カステラ
開港した長崎に交易目的で上陸したポルトガル人が、はじめて日本にカステラを伝えたとされています。当時は、スペインのカスティーリャ王国のパンだったそうですが、日本で独自の進化を遂げたカステラは、和菓子として今も親しまれています。長崎といえばカステラというほど、有名なお土産です。
さが錦
さが錦は、佐賀の伝統織物である「佐賀錦」をイメージしたお菓子です。小豆と栗を練りこんで焼きあげた浮島生地をバウムクーヘンでサンドし、ふんわりとしたくちどけが特徴です。生地に練りこまれた小豆と栗の触感も好まれています。チョコレートでつないだバウムクーヘンとの和洋折衷の味わいは、コーヒーや紅茶にもよく合います。
まとめ
西九州は、魅力的な観光地にあふれています。単に楽しむだけでなく、その土地ならではの歴史や文化に触れることで知見を広げ、豊かな発想力や想像力を養うことにもつながります。まもなく西九州新幹線も開通するため、これからの西九州の旅は、より便利になることでしょう。修学旅行を通して、西九州の魅力を感じてください。
佐賀県武雄市の「巧工房」は、陶芸の魅力を伝える体験工房です。電動ろくろは、九州で最大の台数を誇り、団体のお客様も安心してお楽しみいただけます。女性に人気のランプシェード彫りや、お子さまにも簡単な手びねりの体験もでき、世界に一つのオリジナル作品をお作りいただけます。あかりセラピーも実施しており、数百を超えるランプシェードのなかを歩ける空間は、とても幻想的で、日々の疲れを癒してくれるでしょう。九州へ旅行の際にはぜひとも「巧工房」へお越しください。
修学旅行の歴史
日本で最初の修学旅行は、1886(明治19)年2月に、東京師範学校(現在の筑波大学の前身の一つ)が千葉県で行ったものと言われています。
ただし、この時はまだ「修学旅行」という名称は使われておらず、「長途遠足」という名前で、野外の軍事教練と文化財の見学等の2つが合わさったものでした。
「修学旅行」という名称が初めて現れたのは、同年12月の『東京茗渓会雑誌』第47号の「修学旅行記」という記事だとされています(東京茗渓会は東京師範学校の同窓会)。
1888(明治21)年8月、文部省(現在の文科省)は「尋常師範学校設備準則」を定め、そこに修学旅行について明記しました。これが、日本の法令に「修学旅行」の文字が明記された最初のものとなりました。
これ以降、各地の各種学校に修学旅行が次第に広まっていきましたが、行き先や目的等について、何か統一的な規定があるわけではありませんでした。
1901(明治34)年3月、文部省令第3号により中学校令施行規則が公布され、その第13条で、兵式体操・軍事教練が体操科の中に位置づけられ、従来修学旅行と一体化していた行軍訓練的な側面が分離されることとなりました。
これによって、修学旅行は現在のものにより近い、名所旧跡や産業施設等の訪問見学を主体とするものになっていきました。
大正期に入ると、国家主義的教育の一環として、軍施設や軍艦等の見学や、中国東北部及び朝鮮半島への修学旅行も数多く行われるようになりました。
また、行き先として伊勢神宮や橿原神宮等が選ばれることも多く、皇室に連なる敬神思想の育成もまた当時の修学旅行の目的とされました。
その後時代が戦争へと向かっていく中で、1940(昭和15)年6月に、文部省は修学旅行の制限を通牒し、1943(昭和18)年の東京第一師範学校附属国民学校の記録を最後に、修学旅行は中止されました。
戦後になると、食糧不足と交通事情の悪化という悪条件の中でも、早くも1946(昭和21)年には各地の学校で修学旅行が行われた記録が残っています。
このころの旅行には米を持参する必要があり、それは修学旅行も例外ではありませんでした。
しかしながら、戦後復興の進展と共に、修学旅行の実施校も増加し、1953(昭和28)年には、全国中学校の87%、高校の65.7%が修学旅行を実施しました(ただし、必ずしも全ての生徒が参加できていたわけではありませんでした)。
1958年(昭和33)年の学習指導要領の改訂で、修学旅行は学校行事の中の教育活動の一つとして位置づけられ、ここで初めて全国的に法規上明確なものとなりました。
その後、修学旅行専用列車が作られるなど、修学旅行は量的にさらなる拡大をしていきました。
修学旅行は、日本の初等教育・中等教育の諸学校における学校行事の一つとして、教職員の引率のもとに児童、生徒が集団で見学・研修等をするための宿泊を伴う旅行。特に「宿泊を伴うこと」「行き先がある程度遠隔地であること」で遠足や社会科見学とは区別され、「宿泊施設が野営地ではないこと」で野外活動と区別される。
修学旅行で九州の佐賀県武雄市にある巧工房、あかりセラピー館の体験&旅行は如何でしょうか。